2019年9月26日掲載

大相撲とプロ野球がつまらなくなった理由

—資本、経営に毒された力士や選手は軽視—

 相撲が年六場所になって観客は機会が増え、場所でもテレビでも楽しむようになった。でも力士はどうだろう。大きな体をぶつけて力にまかせて格闘する。ケガがあるのは当然だ。しかし充分に治す時間もなく次の場所だ。

 年六場所、計算では二か月に一場所。その間に地方巡業もある。スポンサーとの付き合いもある。四場所から六場所にしたのは協会の経営からである。

—プロ野球も選手が望んだクライマックス・シリーズ化—

 プロ野球のセ・パ両リーグの優勝チームで日本一を競う方式が、各リーグ上位3チームでもう一度たたかって優勝チームを選んでさらに両リーグの頂点を占めるチームを決める。クライマックス・シリーズという。約半年間で143試合を戦った後にまた、二山越すことになる。陸上競技のゴールが決められているのに、そのテープガさらに先に張られているのと同じで惨酷なことだ。

 もともと大相撲もプロ野球も興行、見世物である。だが世の中が進み、見世物に出る演者、選手にも人権がいわれるようになった。

—消耗品の力士、選手—

 六場所、クライマックス・シリーズと、その当事者の健康などを考えずに、ひたすら相撲協会、プロ野球の球団が入場料を力士や選手に稼がせるための制度の改変であった。

 観客のわれわれは体に白い包帯やテープが目立つ力士を見たくない。バットを全身で振り、全力で捕球、投球する選手を見たい。ゴールのテープを先に張られて息たえだえの選手は見たくない。力士、プロ野球の選手は自分たちの選手生命を延ばし、将来の人生設計のための過重労働に不満はないのだろうか。

 狎(な)れというものは恐ろしいものだ。

 私は相撲もプロ野球もつまらなくなった。

2019年9月27日 記