2019年11月28日掲載

大相撲はスポーツ、そう考えるべきだ!

 九州場所で白鵬が43回目の優勝を果たした。その後に開かれた横綱審議委員会で「白鵬の立会からのかち上げや張り手を見苦しい。そうゆうことをしなくても勝って欲しい」などと注文をつける委員が複数いたということだ。私は朝青龍の張り手が目立ったころから横綱の品格に欠ける、技として相撲にはあるにはあるが、横綱が格下のあいてに使うべき技ではない、としてきた。それは武道だと思ってきたからだ。

—年六場所をはじめ、興行、見世物の相撲—

 相撲を国技といったのはNHKか相撲界が宣伝のためであろう。昭和天皇が相撲好きで観戦されたことも関係するかもしれない。だが春夏秋冬の四場所の興行を廃止して六場所にしてから、力士のケガの治らぬうちに場所となり、土俵上のバンソウコウ、サポーターの見苦しい力士が増えた。まして日本人で力士になり手がいないので外国から志願者を募ってから商売となった。

 もともとが見世物であった相撲であるから、八百長なども陰では行われていたに違いない。そんな日本の庶民の娯楽だった。それを武道、相撲道などというようになって、格闘技の荒々しさと見世物のいいかげんさが引っ込まざるを得なくなった。

—相撲審議委員会の問題—

 学識経験者、人気人物が審議委員となって相撲愛好家の意見を取り入れたり、相撲界に注文を付けるのだが、相撲を武道とするのか見世物とするのかスポーツとするのか明確ではない。

 時に構えて今回のように白鵬の相撲にあれこれという。相撲の技としてカチ上げはある。それを最上位の横綱が得意の前さばきとして使うことで、白鵬に気品がない、ということだ。いままで不問であったのは、相撲協会で彼の人気に気を遣っていたからであろう。朝青龍の張り手に注意をしなかったのも同じである。一時、国技館や各体育館に空席が目立つのに、満員御礼の幕を下げて不評だった。今は満席が続くようだが、大相撲はもうスポーツと割り切って楽しむことだ。ラグビーと同じだと思えばよい。白鵬は勝負に勝って、相撲に負けたということだ。

2019年11月26日 記