2020年1月2日掲載

曖昧な言葉

ージューシーと立ち上げー

 この頃食事をするテレビ番組が多いと思うのは私だけだろうか。珍しい店を芸能人がたずねてワァースゴイ、オイシイーと言うよく見る風景である。TBSのやらせ場面が指摘されて重役が謝罪したことなどは氷山の一角。テレビはほとんど演出がつきもの。私がテレビに出る時、必ず顔に肌色の化粧品をぬられそうになったが気持ちが悪いので断っていた。これだって作りものだ。 

ー表音表現と表意表現ー

 力を「りき」といえば表音、「ちから」と読めば表意ということは誰もわかる。「ちから」といえば素直に綱引きや腕の筋肉のふくらみを想像するが、「りき」では念力、強力、力士なのか上下に文字が入らなければ言葉にならない。表音は聴くによく、理解は難しい。日本語のもつ両面を使い分けることでそれぞれの長所が私たちの理解を深めてくれる。このように利点のある日本語が崩れようとしている。

ー誰でもジューシーなどー

 ジューシーは英語のジュースの形容詞形である。汁たっぷり、果実がしたたるということだ。いま食事をしながら、テレビの影響で、家庭でも食堂でもジューシーの一辺倒。肉でも野菜でも。これを表現の貧困化と私は言っている。辞書を見れば豊かな用語が羅列してある。それを自分なりに選択すればよい。

 「立ち上げ」という言葉も多用、頻用されている。何何省が国民のために組織を立ち上げた。何々幼稚園を父母の力で立ち上げた。新しい組織を作ればすべて立ち上げた、である。この単純というか安易さは日本語が尻つぼみになっている証である。室町時代を始め多彩な日本語を時代、時代で文字を通じ、生活を通じ、国民は生み出してきて今日までがある。源氏物語をはじめ幾多の日本語を紡ぎだした文学の影響はそのまま日本語の語彙に通じてきた。それを情報化社会が皮肉にも削ぎ取り貧困にしつつある。

2019年12月29日 記