2020年4月17日掲載

一から疑うこと

ここで改めて考えること

 いま病気でない人の多くは、明日自分が死ぬとは思っていない。それを前提に今日生きているのだ。新型コロナウイルスは感染すれば、確率はともかく、短期間で死ぬ。それほど突き詰めて考えるべきだ。

 人から人へ伝染するのだから人のいるところへは行かない。それで感染の機会は激減する。当たり前のことだ。会社員などは、テレビ電話や電話で用件を済ます。家庭の買い物は最小限の外出で冷蔵庫を活用する。これを国も会社も家庭も学校も認めて実行すれば、円滑に感染からの距離は遠のく。いま建設業の大手会社も操業停止を宣言し始めた。あとは個人の身を守り、他人に迷惑をかけない常識の問題となる。

常識を考える 

 学校教育が進み高学歴社会になっても、この常識は高められてはいない。その原因の一つにはテレビなどのいわゆるお笑い芸人の跋扈にある。なんでも大声で驚いて見せ、見当違いを装い、笑われることで仕事となり収入としている。常識外の言動で見世物となることなのだ。それを仕事とする人は昔からいた。しかし限られた人だけだ。だが今は進んで見世物になり笑われることを好む人が多くなった。要するに笑われることが劣等感にはならない時代になったということだ。

すべてが軽い社会になった

 気軽な社会。そこではあえて常識を外すことで注目され笑われ、自らの存在感が満たされる。笑われることで、認められることになる。

 真剣に真面目に事と向かい合う姿勢がない時代となった。真剣ということでもう少し触れれば、この騒ぎの中で性風俗店に行ったことが週刊誌に報じられた国会議員がいた。本人は事実を認め、離党届を出したが、党は受け取らず、除名処分としたという。党は、この人間を国民に党の政策を実行する候補として公認した責任をどう問えるのか。国民を愚弄するにもほどがある。地に足のついた生き方、考え方が試されている。軽はずみな生き方を見直す時が来た。

2020年4月16日 記