2020年5月29日掲載

「コロナ禍」とは、輪禍はわかるが。

 このごろ「コロナ禍」という表現を目にするようになった。「輪禍」というのは車の事故などの被害を言った。コロナは禍だけだろうか。人間の思い上がりを、厳しくウイルスが指弾したとは言えないだろうか。空気中に舞っているウイルスは新型コロナウイルスだけではない。

 毎年冬になると今年のインフルエンザの形を発表する。そしてそれに対応するワクチンは、一年がかりで開発されてきている。新型コロナウイルスが去年の12月に中国で確認されているのは、このサイクルに沿っている。だがワクチンが開発されていなかった。だから今年の12月までにはワクチンは開発されるはずだ。サーズウイルスの時、都議会で取り上げたがワクチンが出来上がるには1年かかる、という答えだった。

「コロナ禍」で済ませたくない

 新型コロナウイルスによってわが国では約900人もの死者を出し、世界中の大事件となった。世界史にも残る。でもこれを国難などという時代錯誤の感情任せの括り方では済ませたくない。近代文明の驕りに対する自然の鞭と見たい。

 度重なる地震被害、原発事故この直後は,人はしおらしく謙虚に生活ぶりを見直そうとか、国は対策予算を組まなければならないという。すべてそこから反省が生まれ改善策が出てくれば,災いは禍ではないのだ。痛いお灸をすえられて二度と同じ間違いを犯さなければ、災いを福にしたことになる。今回の事件を個人的な生活改善のきっかけとする小さな行為として、こんなことはどうだろう。つばのかかる距離には近づかない。やたらと握手をしない。つばや痰は道路にはかない。立ち食いをしない。要するに私たちはウイルスと共に生きている。そしてウイルスは空気と共に動き回るということを改めて確かめること。

 礼儀作法を厳しく、学校や家庭でしつけられたことの再確認し実行するだけで随分と生きやすくなるはずだ。

2020年5月26日 記