2020年7月8日掲載

予報は予報、権威を疑え。

 七月第一週から二週にかけての天気予報のいい加減さは、あきれ返るほどであった。外で仕事をしているので装備、心構えの大切さはみんなが知っている。それゆえに天気予報士の試験に受かれば誰でも天気予報が出来るようになって、精度の高い予報が期待されてきた。かつて予報は気象庁が行っていた。梅雨入り、梅雨明けなど間違うことはあっても、みんな一日、二日の誤差はあくまで予報であるということで許されたように思う。

 この頃の予報は正しい予報より季節の花、今朝の町の風景などを紹介するなど焦点が定まらないものになっているようだ。特に気食わないのは、予報がくるっていても次の機会の時に、謝ることをしない。テレビやラジオの予報士の成績表を公開すれば、予報と関係ないお喋りで時間を過ごす予報士が淘汰されるに違いない。提案したい。

 ところで、私はスキ—をやっていたので、風向き、雲の濃さ、雲の質、高さなどから二、三時間後までの天候は予測することが出来る。時々は外れるが。

 まあ、予報も頼りにされるのだから、権威といえば権威だが、この前あるテレビでノーベル賞の京都大学の山中伸弥教授が,ランニングをするときはマスクをするように注意していた。医学者の立場からの指摘なのか、自分のランナーの立場からかはわからない。だが皮肉なことに、その翌日に中国で中学生三人がマスクをしていた状態でランニングして死んでしまった。授業中に。早速、中国はマスクをつけることを禁止した。日本で同じ事故が起きたら、山中教授はなんと説明するのだろうか。こわいこわい。餅は餅屋に任せるべきだ。

2020年7月7日 記