2020年12月29日掲載

極まった語彙能力の語彙不足

 同じ現象や事項を表現するのに、色々な語彙を用いて表す。語彙の豊かさは、常識や教養の証ともいえる。だから辞書がすぐに引けるところにあると都合がいいということになる。

辞書をよく引くことは複雑な事柄を出来るだけ正しく、きれいに伝えることにもつながる。

 10年以上前から俳句を始めた。新聞や雑誌に投稿して掲載されたり、年間賞で賞金、賞状を頂くことができた。独学であるが敢えて秘訣と言えば、よく辞書を引いて書いて、音読することである。俳句は切れ字、季語、15文字の制約の下で成り立っている。それを守ればどんどん上達するものだと思ってきた。そして自分に語彙を増やす意欲を求めることだ。

政治の場での弁論にも、語彙とロジックが必要である。語彙は大切な文化財である。

 最近、気になる語彙の話をしたい。もう開けても暮れても「立ち上げた。立ち上げようとしている」と、新聞やテレビなどの報道機関は使っている。例えば調査会、研究会、対策会議などなんにでもつける。辞書を引くと、「機械などを動かし始めること」とある。

ここを原点として色々と使われるのが語彙の豊かな応用というものであろう。だが、なんでもかんでも、菅総理をはじめ、各界の指導者が何かを始めると、「何々を立ち上げた」という。同じ意味で、設置した、創った、置いた、構えたなどいくらでも意味が通ずる語はある。それを臨機応変に用いることで意味がより理解しやすいように人々に伝わるのだ。日本の和語も今の標準語も古事記、万葉集、日本書紀、勅撰和歌集などを通じて心のひだに入る五感を伝えてきている。それを忘れてひたすら便利なのか現代風なのか「立ち上げた」と言い他の言いかえが出来ない言葉の貧困さに、経済とは異なる寒々しさを痛感している。

 敷島の大和の国は 言霊の助る国ぞ ま幸くありこそ

2020年12月26日 記