2021年4月22日掲載

無礼講社会のコロナ対策

 いま世の中でいう無礼講とは、肩書や立場を超えて小難しいことは言わず仲良くしようということである。一見、差別のない堅苦しさの無い人間関係のように見える。だが、これが無秩序と背中合わせであることに注意する必要がある。大学の新入生歓迎会で一気飲みの急性アルコール中毒で死ぬなどということが毎年ある。これなども気が大きくなっておこす、無礼講の悪しき慣行である。

 反省から学ぶことを忘れた大衆社会は、今回のコロナに対する国民から自分の命を守るという賢い知恵は出てこないし、国、東京都がいくら笛を吹いても理解して自粛する様子もない。政府、自治体の先を見通す対策も、現実から目を逸らす現実逃避の本能から後手後手に回っている。オリンピック、パラリンピックを決行し経済も成長させコロナ対策も成功させるという欲張った政府は、三兎を追って一兎も得られない結果になるだろう。

 大衆は社会の正常よりも我欲を優先させる。この連環が好況を都市封鎖にまで追い込んでいくことになるだろう。無礼講社会の末路は、日本史に残る大きな教訓を残すであろう。

2021年4月20日 記