2021年7月23日掲載

大相撲の衰微と剣道の理念

 今週、日曜日、横綱白鵬が優勝。まったく関心がない。休場続きでそのまま引退か、というほどに横綱の権威はなくなった。この原因は相撲界の伝統を守ろうという気風がないからである。この水曜日に大麻をやった力士がいて発覚した。弟子の教育も十分でない。親方という、育てる人間にその資格のない未熟な人間が多いこともある。これまで言ってきた年6場所をやめ4場所に戻すこと、相撲部屋を整理すること。またいわゆる、たにまちという、スポンサーの世話になるゴっつぁんの世界から脱出することだ。

 何よりもモンゴルなど外国出身の力を借りて大相撲が成り立っていることがおかしい。かつて昭和天皇が相撲好きであったことから、国技などと呼んだことがあったが、誰が決めたのか。相撲こそは日本の武道文化の形を体現するものである。横綱の出ず入りを見れば一目同然である。横綱が立ち合いに張り手に行く、白鵬の得意技だ。日本生まれの横綱で下位の力士にこの技を使った例を知らない。受けて立つのが横綱と親方が教えなければ、格闘技と理解する人は迷わず張って出る。土俵を割って勝負がついたのにさらに押し倒す。時間いっぱいの時にテレビカメラを睨みつけるとかプロレス並みの観客、テレビを意識した態度である。

 本来、武道は見せるものではない。自分を見つめる機会を相手に貰う競い合いである。

 マスコミは大袈裟に報道するが、行為をしている人間は内省しつつ完成を目指しているはずである。こう考えると、手前みそになるが剣道だけは、人間形成のために時間をかけ努力をし、自分の納得するところまで修行する武道と言える。そういう気風を守っていきたいと思う。

2021年7月19日、山岡鉄舟、毎歳忌に参加して。