2022年12月12日掲載

非常識なひとびと

 家で飼っている三代目のフレンチブルドックの散歩が、私の生活の節目である。この犬は寒さ暑さに弱いので、夏は4時半、冬は7時半ごろの散歩となる。最近気になることは、犬の糞の未処理がしばしばあることだ。20年近く犬の散歩をしてきたが、珍しいことである。桜並木があって、春は散策の人々がある。そこにこの頃、未処理の糞を見るようになった。

 コロナのせい、とは言えまい。私が処理するのは容易いが、本人の自覚も必要と思い取らないことがある。世間にあまえさせないためだ。犬を飼うことは、すなわち犬の死まで関わることで糞の始末などは当たり前のことである。私は犬が腰を下げ始めたら、すぐに紙を地表に置くようにしている。

・自分を持って生きる

 自分の一時の甘えだけで生き物を飼う人間もいるかもしれないが、社会に同調して犬を飼うことは、犬を嫌いあるいは恐れを持つ人がいることも想定していなければなるまい。最近のスマフォ画面を歩きながら見ている者と同程度の、わがままな人間の行動といえる。世はこのようにして非常識が良識を駆逐してゆくのである。それ故に自分は世間とは非妥協、不服従で生きていこうと思う。

2022年12月9日 記