2023年3月26日掲載

らしさの喪失

 先生は先生らしく、生徒は生徒らしく。〇〇らしくという言葉が消えて久しい。父親らしくとか母親らしく、という固定観念を嫌う現代なのだろうか。母親が子供を車の中において、パチンコをしていて熱中症で死んだ、などというのは毎年のことだ。今年もあるだろう。国にも、人にも決まった形、あるいは姿がある。ところが現代はらしくない、というのが意外性をもって歓迎される。たとえば、先生らしくない先生。小学生らしくない小学生とか。

 たとえば、警察官の目は鋭い。交番などに貼られている、全国指名手配の人間を探している目だ。確かに交番で立っていて見つけた実績も多くあるという。

—楷書の持つ分かりやすさを生き方にも—

 目の鋭さは警察官らしいものだ。漢字で言えば楷書であって、決して行書、隷書ではない。ごつごつしている。でも読みやすいし分かりやすい。らしさとは漢字で言えば楷書だ。まあ、まあと膝を崩した会話よりも、堅苦しさの中に、誠実さがある。このところ、学校の先生の学校における児童、生徒への性的いたずらが多く報じられる。まったく信用できない先生が増え、すなわち先生らしい先生がいなくなったということだ。

 自分の役職の教育者としての重要性を知らず、就職する単なるサラリーマンである。政治家も政治家らしさは時代と共に変わる。だが国民と国のことを考え、自分のことは後回しの楷書の心を持った人間がいなければならない。らしさは古いようで新しい人間像である。

2023年3月24日 記