2018年1月26日掲載

末から元を見る、政治教育

 残骨灰を御存知でしょうか。火葬場で引き出された遺骨を壺に入れた後に残った灰をいいます。

 家族の火葬に立ち会った時、残った遺骨に大きな磁石を当てて、金属を拾っていたのを見て、何をやっているのだろうと思ったものです。

 金冠歯を拾っていたのです。いま火葬場は都立も民間もあります。拾った金冠歯は誰のものなのでしょうか。従業員が遺族の目の前で磁石を使っていたところを見ると火葬場のものとするのでしょうか。遺族に戻されることはありません。遺族は放棄したと思われているのでしょうか。

 都や業者のものとなるのでしょうか。金ですから財産です。この帰属が不明です。

 人の死に関わることですので、議論しにくい課題ですが、はっきりしなければなりません。また骨壺に入らなかった残骨灰は芥(ごみ)と同じに処理されるのでしょうか。ここにも光を当てなければなりません。

 

 私は政治教育の基本とする考え方として、終末から逆に見る所を戻してくることが大切としています。

 すなわち私たちの使った水は下水処理場から家庭、浄水場、ダム、山林、大気というふうに逆にのぼって着目するのです。どこかに不都合、汚染の原因がないか検討します。この思考方法はすべてに応用できます。

 終末から物事を見渡していくと予算より決算、すなわち使われた結を検証して、次の予算に生かすということにつながります。予算委員会より決算委員会の重要性がわかると思います。使い終わった後の効果、処理こそ次に生かしていく課題を残してくれる貴重な資料なのです。

 終末や結果から新しい発想を生み出していくことが必要です。

2018年1月19日 記