2018年4月16日掲載
便利な「記憶にありません」
—追訴の墓穴を逃れるため—
安倍首相、柳瀬総理秘書官(当時)の多用するこの語句は、責任逃れの策です。
かつてのロッキード事件でも馴染みでした。法的に追及されない、無責任な語句なのです。
他から物証などが出てきた時に、「そうだったのか」と他人事のように認めればよいのです。私たちの使う逃げ口上です。「私の記憶の限りでは」という条件をつけることで、後後の安全を確保しているずるいやり方なのです。
—事実のつきあわせを—
この常套句を用いるということは、自信を持って答弁するべき立場の人間の弱点が、垣間見えた証拠です。
かつて一回、健康問題で政権を投げ出した安倍首相の友達議員たちが、警護して作ったこの度の内閣。世耕、下村、菅といった人人が警護する力づくの政権。この「記憶」を持ち出す政権を突破するのは、事実をつきつけるしかありません。
愛媛県の関係者、柳瀬、安倍夫人を国会でただすことです。
その時が迫ってきています。野党も準備のできていない時の安倍解散をおそれて徹底追及できなければ、政治の信頼は消失します。
2018年4月12日 記