2018年11月19日掲載

再再度の提言!裁判員制度を廃止する国民運動を!

 昨年の裁判員候補の出席率が約2割という報告が最高裁から出された。2009年に導入された時は、国民の司法への理解と信頼を向上させたり、裁判に健全な市民感覚を反映させることにあった。有権者から無作為に選ばれた名簿登録者から各裁判所がくじで選んだ候補者に呼び出し状を送付する。制度開始の09年は40%であった。それから下がり続けている。17年の辞退率は66%。裁判員裁判の平均日数は09年の3.7日だったが、17年は10.6日となった。

—国民の関心が低く裁判員の負担は重い—

 以上の数字から国民の関心は年年下がってきたが、当初は義務という厳しい姿勢が制度にはあった。私などは義務教育、納税の国民の義務に新たに第三の義務が加重されると反対であった。義務であれば強制すればよいのに、それも尻すぼみとなっている。その結果の高い辞退率となった。

 そもそも2005年に法制化された時、国民の側からの要望などなかった。国務当局が先進諸外国の事例に合わせて導入を図った。

 法務官僚の点数稼ぎ、功名心に利用されたともいえる。まして一部にいわれている裁判員裁判になってから求刑通りの死刑が増えているという。制度導入前は死刑求刑の6割の判決であったものが、制度導入後は約7割に増えている。

 人命にかかわる判決である。慎重かつ厳正に行なわれるべきである。死刑事件とするべき要素を調べきれていないという法律家もいる。殺人事件などの写真を見たりして、心的外傷となった事件もある。裁判員はプロではないので重い負担に耐えられない。

 17年の裁判員裁判の平均日数は10.6日であり、かつてより長期化している。しかし充分ではない。裁判員の負担を軽くして迅速化を図れば、真実の追及は疎かになる。

—制度廃止の国民運動が必要—

 こう考えてくると何のための裁判員制度かわからなくなる。裁判員になって会社を休んで参加しても、休日扱いにされる中小企業もある。この制度は9年になり、来年は10年となる。司法に市民感覚、国民感覚というスローガンは一見、民主的なようで粗雑で危険な発想であったと司法当局は認めるべきである。

 認めたうえですぐさま廃止をし、いまでも充分な時間をかけた調査に基づいた判決を受けずに、不当な死刑判決を受ける人がいることを深刻に受け止めるべきである。

 形ばかりの裁判員裁判を廃止する国民運動を施行10年の来年を期に実現させる必要がある。

2018年11月12日 記