2019年3月22日掲載

「いま地方政治が変わる!」集会、盛会で。

—制度改変と時代—

 3月31日、午後3時、東十条ふれあい館3階集会室。参加者42名、会費300円。

 会の冒頭、和田宗春は平成天皇、皇太子との思い出を語った。そして日本国憲法前文唱和を毎回行うことで第1章の天皇の象徴制を確認していることに触れた。生活に憲法を生かす、といっても口から声を出し、互いに確かめて血と肉にしていくことが大切である。まさに日本国憲法の体質を作ることにつながる。今上(現在の)天皇ご夫妻の沖縄はじめ諸外国の戦地訪問は、慰霊、贖罪(しょくざい)の心で続けてこられた貴い軌跡であった。そして和田との交流。皇太子を通して『政治発言』を献上したいきさつなど。

—教育委員の公選こそ緊急課題—

 いま教育制度に手をつける時だ。それについて訴えた。親が子どもを虐待して殺す。子どもが謝っているのに。中学生の虐待による自殺。和田は「いじめ」などという軽々しい言葉は使わない。学校はきれいごとしか弁解しない。常に教育は正しく、美しく行われている原則である、という虚色に塗られているからである。教育を監視する役目の教育委員は住民の手からは遠いところで選ばれている。首長が議決をもとに選んでいる。議会は多数決主義であるから、多数与党の意のままに動く委員を自ら推薦する。まったく住民や有権者の直接かかわる余地はない。現場の実情に詳しい人が選ばれる環境ではない。権力構造による人選といえる。

—区長公選の実例から—

 和田は訴えた。自分の初当選の46年当時、区長はいまの教育委員の選出と同じように北区議会議員が投票で選んでいた。住民、有権者は関与できない。他の都内の市域では投票していない。地方自治法の特別区23区だけの差別だ。それならば住民投票で立候補者から一人の当選者を選び、議会で投票して選ぶやり方、準公選方式を行うことを関心の高い数区で画策した。和田はその特別区制度の北区の委員長。その運動が激しくなると、ついに国会は昭和46年、地方自治法を変えた。そこで昭和50年から区民も区長の投票権を手に入れた。そして今がある。今度は教育委員を公選にする番がきた。これは日本中の教育委員を住民投票する運動から「地方教育行政に関する組織ならびに運営にかんする法律」を変える運動となる。それに先立つ住民投票を行う改革である。教育がきれいごとから解放されるためには現状を改善する政策をもち実行できる人で家庭教育、学校教育、社会教育などに有効な意見と経験をもつ人を選び、住民の手で責任をもって選ぶことが大事だ。

 和田の準公選の成功体験から、教育委員の準公選(住民投票の結果を議決)の実施を伝えた。

 質問に入り、区長公選になったいきさつや教育委員の選ばれ方を知らなかった参加者からの質問。また現天皇に皇太子を摂政官として任用する考え方があると思うがどうかという質問。意見として、和田が教育委員を公選に導く運動の先頭にたって教育改革を行うべきという声もあり、盛会であった。

2019年4月2日 記