2019年5月3日掲載

10連休は誰が決めた!?

 5月2日に郵便局で用があった。行ったら閉まっていて6日まで業務は休みという。5月の黄金週間といういままでの祝日、土、日をつなげた連休の他に、新天皇をからませての10連休としたのではないか、と思いついた。それにつけても誰が決めたのか?経済界はそんな申し合わせを、大企業はしたようである。町の青果店、洋品店には関係ない話だ。公に決めた話ではないのに町は異論なく動いている。

—父の嫌ったボーナス時期—

 私の家はネクタイの縫製業。ミシン、鋏などで生地から製品まで製作する家業。手作業だけに時間との勝負で夜中の1時、2時まで働くことは普通だった。働き手も何人かいた。土曜日も働いた。役所、企業が土曜休日を導入した時にも休めなかった。夏、冬のボーナスをテレビや新聞で季節便りのように報道するのを従業員の手前、嫌った。当たり前のように報道するのを嫌悪したのだ。

 今年の10連休はお祭り騒ぎとなっている。しかし国際化がすすみ、外国はこの時期に10連休などしていない。国内外の経済活動の象徴ともいえる株式も止まっている。外国は休んでいない。この埋め合わせは連休明けにどうでてくるのか。10連休していた間に兎と亀のたとえのように海外情勢はどんどん変化していたとはならないのか。

—情動国家、日本—

 メダカは群れてうごく、と言うが、お祭り好きの能天気民族の日本は、なにかにつけて情けで動く。日本国憲法のもとでの天皇制の意味、皇族に内包された人間的弱さ(皇后の適応障害・秋篠宮長女眞子様の結婚問題など)など先行きは祭りとは異なる様相ではないのか。皇位継承、特に女帝問題など国の運営と結び付けて慎重に地に着いた議論が求められる。祭りはいつかは終わる。終わった後の日常こそが国民生活であり、私たちの日本の姿なのである。

2019年5月1日 記