2019年5月8日掲載

ますます人間主義の時代

—性の差、年齢の差、環境の差で判断しない—

 私が都議会議員の頃、女性専用車両導入のきっかけを作った都庁内で開催した『痴漢犯罪シンポジューム』の時のことである。ある女性から「私たちにも男性を触りたいという欲求がある」という発言があった。一瞬会場はシーンとなった。私的には当たり前の頃である。この根本が無ければ人類は繁殖してこなかった。しかし性については、性行為についてとは公的すなわち人前で話すべきではない、という禁忌が続いてきた。世界中どこでも程度の差はあっても同様である。しかし都庁でのシンポジュームの場合に違ったのは多数の前での告白である。他の女性はしらけていたように思う。

—女性を弱い受け身であるという固定感でみない—

 笑い話である。かつて人気女優の吉永小百合は手洗いに行くはずがない、と言った学生時代の友人がいた。半分は冗談で半分は思い込みであろう。

 2018年11月に世界保健機関は国際疾病分類第11版に強迫的性行動症を行動調節障害として提示した。アメリカのミネソタ大学の調査で、女性でも7%、男性では10%の性的欲求を抑えられない病気の人がいる、と公表された。

 前述のシンポジュームでの発言と今回のミネソタ大学の調査からしても痴漢だけでなく痴女がいてもおかしくない、ということだ。

 人権尊重、権利平等の時代となって、女性だけが常に被害者という固定観念は捨てるべき実態ではないことが明らかになりつつある。いままで人間は教養を積んだ動物である真実を忘れて、地球上の万物支配者と誤解してきた。女性も男性も動物の要素を持っているのだ。

 これから女性管理職が増えてくる。そうなれば女性が上役という立場からの嫌がらせ、労働差別が目立つようになる。当たり前のことだ。女性だからと特別視する、またそれを要求する雰囲気がある。同調傾向という多数迎合の形だ。

—人間としての質が問われる時代—

 私は女性だからといって家庭を守り、男性だからといって会社、外で働くという時代ではないと思う。自分の得意とする満足できる分野で生活出来る収入があれば男性が家庭、女性が外ということも自然だと思う。そこには生まれ、学歴、性別、年齢など個人の持ち合わせた属性で、差別しないという根本原理があることだ。それがあれば人間として生きやすい。社会、国家もぎすぎすしない。

 将来は動物も植物も生命体として地球に存在する意義を全う出来る環境を人間が保障する必要がある。まずは改めて女性も男性と同じ性欲があるとアメリカで発表された調査結果をわが国の世論がどう受け止めるか、注目したい。

※世論は感情を中心にした短期反応、輿論は公的意見を主とした中・長期反応。

2019年5月6日 記