2019年7月16日掲載

女性議員の比率以前に政治参加の環境をつくる

—まず供託金を無くすか、低額に—

 今回の参院選に女性の立候補者が104人で今までで最高の48%の割合だという。

 女性の側からクォータ制という頭から女性議員の数を割り振る制度も提案されている。例えが不適切かもしれないが、ビルマの国会では無投票で軍隊から四分の一が議員となる。それと似ているようにみえる。

—必要なのは環境の整備だ—

 女性の立場をあらゆる分野で拡張するのは当然である。そこで労働はもとより育児、家庭経営も男性が担う役割分担がもっと充実すべきである。そのためには固定感として男性は外、女性は内という社会の体制に風穴を開ける必要がある。いわゆる平等の性の参加である。かつて保母さんだけでなく保父さんも必要と区議時代に議会で訴えて成功している。男女の性差を解消するところから政治参加も可能としていくことだ。

—問題解決するのは政治だけではない—

 世間はすべて政治が解決のカギを握っているように誤解しているふしがある。かつて日照、電波障害の住民運動が、高度経済成長期に資本の横暴な力に対抗して頻発した。そして、いくつも住民側の勝利が確認できた。これは住民の力が行政を動かしたのだ。政治は無力であったといえる。

 女性が政治の場に議員として参加しなければ、女性の声は政治に生かされない、と決めつけるのはどうだろうか。女性議員でも女性の声を代弁しているとは言い切れない。政党の方針にしたがっているのがほとんどだ。政党が女性本意とは言えない。全国民を視野に入れるからだ。

—政治の場に力を与えすぎないこと—

 政治がすべての源と考えることは、政治に無用な権限を持たせることになる。公器、公僕とは国民の僕(しもべ)なのだ。使いの人だ。当面、手直しをするとすれば、地方、国を問わず、立候補に必要な供託金をなくすか、事務手数料のみに引き下げることを女性候補は主張すべきだ。衆参とも300万円、比例は各600万円が必要である。

 泡沫候補の立候補抑止のため、という理由こそ民主主義を棄損するものだ。男女、身心障碍者の立候補の自由意志の前の障壁だ。

 これを訴えている女性候補はいるのか。性差解消は当然であるが公平な環境のもとで競うことで有能な人材が性、その他の障碍を超えて選ばれることが目指すべき政治風土である。

2019年7月12日 記