2020年4月2日掲載

公園または緑化の維持、建設に計画を立てるべきである

 今年も桜の季節は終わった。私の住まいの近くにも桜の古木が街並みを作っている。アスファルトに食い込んだ幹は哀れである。伸びすぎた枝は伐採される。町のためには仕方がない。だが、ここに計画概念があれば幹も枝もいたずらに処理されることはなかった。

 東京駅の皇居に向かった一帯を東京セントラルパーク・東京中央公園にして皇居や靖国神社、千鳥ヶ淵墓苑を含むくつろぎの場にしたらどうか、と都に投げかけたことがある。そこに観光のために馬車を走らせることも提案した。

 小さな計画、大きい計画を十分に練り上げて確実に実行することで、私たちの身の回りの自然環境は確実に改善される。問題は着想と実行力だ。

 話が横にそれるが、桜が終わり、新型コロナウイルスだけが命を狙っている。うがい、手洗い、外出の抑制で安全の多くは保てるはずだ。小池都知事の夜の飲食会合の自粛の呼びかけなどという限られた範囲の、見当違いな対策ではなく、人と交わることの自粛が求められるということだ。自分のため、人や社会のため、少しの間の不都合を我慢すべきである。こちらの新型コロナウイルスの予測は計画できないが、日ごろの心構えはできる。

2020年4月1日 記