2020年6月21日掲載

密集、密接、密閉とは東京のこと

 いわゆる三密を避ける運動が、新型コロナ対策の基本となった。人が他人と仲良くすることが、学校の社会の常識となって久しい。人と近づいて言葉を交わし、時には握手をしてお互いの理解を確かめる。だが今回のコロナ騒動はこの作法をてんから打ち砕いた。今まで人と仲良くし、人と異なる意見や行動は避ける方が好ましいと言われてきた。要するに三密こそ、社会や国がまとまるために効率的な戦略だった。通勤、通学時の電車の混雑は、外部不経済と言える。痴漢に機会を与えている。それでも混雑の利益で、国も東京都も潤っている。

 だが今はどうだ、三密はダメという。コロナがウツリやすいということだ。考えてみればこの三密を町にしたのが東京だ。朝のラッシュや町の混雑、美術館なども同じだ。

 人と近づいて仲良くして、コロナを移されて死んでいく。ここらで集まって仲良くするだけではない価値を創るべきだ。程よい距離を取った生活。自分と他人を認め合ってべとべとしない関係とでもいおうか。スマートフォンなどで、近づかなくても良い距離、場所までお互いに許しておいて後から、事件になっている。愚かなことだ。この大型版が東京だ。小池知事はもっともっと、東京へ人と金を集めようとしている、欲望の限界を知らない餓鬼のようだ。私が都議会時代、唯一の首都機能移転論者だったことはここに書いたことがある。都議であると同時に、等価値で日本人、都民であることを考えたら、東京にすべてを囲い込む、欲深な政治家はいらない。政治家にも教養が必要ということだ。

2020年6月 記