2020年8月12日掲載

政治は結果責任と言ってきた安倍総理

 政治は結果責任と言ってきた安倍総理と小池都知事は自らの責任をどう執る。

いつも私は、「政治は結果だけでなく,過程も大事である」と大学でも教えてきた。だが政治は結果責任という政治家がほとんどだ。

 こんなたとえを使って説明してきた。春、夏の全国高校野球大会。全国数千の高校が競い合って参加する。優勝は一校だけ。この時、優勝という結果を得るのは一校だけだ。参加して汗を流して、バットを振り、球を投げてきた過程で生み出された友情、感謝、達成感,くやしさから学ぶことは教室では身につかない。過程こそが人を磨く。それが教育というものだ。安倍総理も小池知事もこの過程を評価して学ばずに、ひたすら結果だけを見据えて脇見もせずに来た。

 コロナ対策について、非常事態宣言を自分の人気取りのために悪用して、出したり緩めたりまたゴウ・ツウ・トラベルなるいかがわしくまやかしの観光政策で目先を変えようとしてきた。だが8月3日現在、感染者は全国に広がっている。ましてお盆が来る。経済対策とコロナ対策は全く正反対だ。これを一諸にやろうとするところに過程を無視する姿勢がはっきり見通せる。さて本題であるが、安倍総理、小池都知事の得意とする結果責任をどうとるのか、ということだが。もちろん何人もの国民、都民が死んでいるのだ。彼らの政策判断がなせるものだ。それでも安倍総理、小池都知事の責任という声が上がってこない方がおかしい。原因者の責任ということだ。だが私は時間の問題と見る。さて他人のではない、自分の結果責任を、だ。しばし静観しよう。これで両人の器がわかろうというものだ。

2020年8月3日 記