2020年11月19日掲載

アメリカもビルマも国政選挙が曖昧。潔さはどこに行った。

 トランプ対バイデンのアメリカのお粗末な選挙といっても、トランプにかぎっての形容であるが。グッド・ルーザーという負けた後の人柄の大きさを言う言葉がある。ラグビーでよく使われる、ノー・サイドも同じような気っぷの良さを表す。

だが、政界に関わったことのない初めての大統領になったこの人は、臆面もなく証拠も示さず、バイデンの選挙の不正を理由に居座る風である。トランプのわがままな振舞が許されるアメリカは、もっと言えばこれを許している国民はどんな理由からだろうか、と気になる。私が翻訳した『シカゴ』は1930年代からの政治論であるが、ここにすでに共和党のスローガンでアメリカ・ファーストが出てくる。私は「アメリカ第一」も考えたが、あまりにも独善風に響くので「アメリカ優先主義」とした。だがトランプの4年間は徹底した第一を主張し行動してきた。もともとアメリカにはフロンティア精神があって、西部劇の主なテーマになってきた。アメリカ・バイソン(バッファロー)やインディアンを銃で殺して西部開拓し、国を創ってきた歴史がある。未だに銃規制ができない。要は力を認め評価する国民性が残っていて今回のトランプ大統領の所業と重なり相乗効果を発揮した世論(せろん)となった。

 さて、今月8日に投開票のビルマ(ミャンマー)の国政選挙。11月16日現在、正式に選挙結果は公表されない。野党、軍関係から不正選挙の疑いが出されているからである。アメリカにいるビルマ人の友人は、ス—チー政権は過半数を確保したと断定するが、日本の報道機関は慎重である。アメリカとビルマ双方に共通しているのは、強力な力、権力や軍事力を持つ者が、不利になるとグッド・ルーザーにはならないということだ。潔さは誰も評価しない。かえって自分の損になる。居座ることが現実として有効だという、この空気は地球を覆っている。特に国を動かす権力を持つ政治家が手本を見せれば、子どもは真似る。批判力のない人人は流行を追うように雪崩をうつ。

民主主義はどこへ行くのか。

2020年11月17日 記