2020年11月26日掲載

想像力の欠如は政治能力のなさである。

 3連休の初日に東京をはじめ全国でコロナ感染者が増加した。前にも書いたがGoToなにがしで経済を潤わし、一方で国民の命を守るということは矛盾である、と私は言ってきた。ここにきて菅総理、小池都知事も経済よりも国民の命が大事と気が付いたようだ。

 菅総理は22日、GoToなにがしを規制すると言い出した。コロナのことに無知識な政治家は医学関係者の意見を参考に政治判断を下す。税金の配分ならば選挙対策もあるし、与党に対する配慮もあろう。だが、こと命に関わるコロナ対策で、これほどまでに判断力のない政治をよく国民は我慢しているものだ。小池都知事も同じだ。福島原発の時も命の危機であった。地域が偏ているとはいえ、危機に対する国民の構えは同じだ。我慢、辛抱を国民に求めることしか治まりはない。政治家は選挙、人気がすべてだから、嫌われるようなことは言わず、貧乏くじを引かない。期間が過ぎるのを待つという、怠惰な姿勢をとりがちだ。医療関係者にも強く意見を言う大物がいない。この始末は大感染が広がり、国民の健康被害が政治責任として問われるようになる。そしてだれの責任か,問い始めたときに初めて菅総理、小池都知事や権力者に目が向くようになる。誰もが責任を取らず、ウイルスのせいにしてこの騒ぎは多くの犠牲者を出して終わることになる。これほどまでの政治家の想像力のなさが多くの犠牲者を生んだ。経済優先、選挙優先のツケは国民が払うことになる。

2020年11月22日 記