2020年12月24日掲載

二人の卑怯者

 『いろは歌留多の政治風土』という本を出したことがある。今も北区立図書館にはある。誰もが聞いたことのある、犬も歩けば棒に当たる、という耳慣れた格言から始まるあのカルタである。政治現象と「いろは」を組み合わせていつでも、どこでも日本では通用する俚諺と言える。それには入っていないが、命あっての物種も、よく使われる。最後は命の問題ということだ。

 たびたび書いてきたコロナ対策の国、東京都のお粗末な政治、行政判断はそれぞれ菅、小池という危機管理のできない安閑とした時代の指導者である。我々は不幸にも能力のない指導者に政治を任してしまった。投票した人々はどう思っているのだろう。自民党や小池を投票した人の中には自分が誰に投票したかをもう忘れている人もいるかもしれない。

 人間は一本の忘れる葦という名言があったから。私は大学で政治学を講義した時に、国家の十分条件、絶対条件は国土と国民が備わっていることだ、と教えた。その定義からするといま国は国民を守っているといえるのだろうか。

 Go Toキャンペーンに未練をもって、経済優先で国民の命は二の次だ。Go Toキャンペーンでコロナに感染して死んだと分かった時、国家や都に責任はないのだろうか。国や都がキャンペーンをして外出を奨励したことは事実である。行く行かないは本人の判断だが、国や都が奨励した責任はないのかということだ。法律に詳しい人の意見をぜひ聞いてみたいものだ。誰もが未経験なこのような局面では、常に想像力を養う訓練をしているかどうかが、道を分ける。

 私事ではあるが剣道の修行とは、目の前の相手の攻撃をかわし、自分の技を相手にどう使うかを工夫することだ。攻めて守る。この塩梅を知ることが修行だと考えるようになった。ただ物好きに大声をだして竹刀を振っているわけではないのだ。

 政治家のある人たちが、剣道の達人で在家の禅の大家、山岡鉄舟に惹かれるのは命を懸けて江戸を戦争から守ったその気概である。いまここに挙げた二人の政治指導者にその気概はあるのだろうか。あるまい。もう部下や他人に自分の決断力の無さを押し付け始めている始末である。少し古い言い方だと、自分の責任を放棄して、他人に非をかぶせる卑劣な行為をする人間を卑怯者というのだ。

2020年12月22日 記