2021年4月20日掲載

小池都知事の責任はどうなる、辞任に値するのではないか?!

 よく政治は結果責任と言う。今の小池知事はこのことをどう解釈するのか。

 この17日に750人を感染者が超えた。それでも他人事のように若い人の外出抑制を言うばかり。ドイツのメルケル首相が声を荒げて国民に政府に協力してほしいと真剣に訴えた時、この人は国家国民を本当に守りたいのだという真剣味が伝わってきた。

 そこに行くと小池知事は政治の役割を知らない。耳触りの良いことはだれでもいえる。都民に自由を制約するよう求めることは、選挙をやる身からすると避けたい。有権者に悪く思われたくない、得票に支障が出る。そんな理由からで頭を下げて協力を求めることをしない。他人事のように言うだけだ。政治は時には住民にしのぶこと、我慢をすることを求めることがある、と都民に知らせることも必要である。それにはいい加減な姿勢ではなく、心の底から協力を求めなければ都民は聞く耳を持たない。かつてのメルケル首相の姿勢こそ政治家のとるべき姿である。人気を気にする政治家と使命感に熱い政治家の違いである。都民は不幸だ。

 都民に最小限度の日常を営むように懇請して、コロナの感染者を減らす工夫をしないで、東京オリンピック、パラリンピックなどありえない。こんな判断ができない都知事は全くのお飾りに過ぎなかったということだ。混迷、混沌としている時にこそ政治家の能力が問われる。小池都知事は張り子の虎で中身は何もない空っぽの人形にすぎず、これを選んだ都民も高価な虚像を買ったものである。結果責任を問われれば当然に辞任である。

2021年4月17日 記