2021年8月1日掲載

安倍も小池も神輿から肩を外した

 体調不良を理由に静養して復帰した小池の音なしは不気味と言える。毎週、金曜日の定例会見でもコロナに関しては他人事で、解説するだけだ。先に触れた擬態、死んだふりをする動物の延命策。これに長けた人だ。

 都民の50パーセント以上がオリンピック・パラリンピック開催に疑問を示している。ここでは開催を言うことは自分に不利と計算した。そこでメディアの出番を控え始めた。だが、ここで考えてみたい。東京が主体のオリンピック・パラリンピックではなかったのか。誠に無責任である。都合の良い時は、マスコミを利用して露出度を上げる。都合が悪ければ亀のように首をすくめて、過ぎる時間を待つ。

 ここにきて安倍も開会式に出ないという。彼が8年前に誘致をしたと息巻いていたではないか。その人間が退場する。これも無責任。傍観者を決め込んだのだ。まさか菅は逃げるわけにはいかない。

 直接の当事者であった、二人が逃げた後は菅が尻ぬぐいをするしかない。この二人の姿を国民は忘れてはならない、政治教育の事例として、政治家選びの知恵として記憶するべきだ。

 私の知る限り政治家の、本性は危機の時に現れる。今がその時だ。コロナ事件を実例に安倍、小池の実像を知った。アフター・ユー、フォロー・ミー。これが緊急時の指導者の姿勢だ。喜びや、快楽は国民の後から、危険、苦痛は自分が先にというのが真の指導者である。あえて安倍、小池と呼びつけにして書いた。

2021年7月28日 記