2021年8月12日掲載

オリンピック・パラリンピックのすべてが終わらないのにどうかと思うが…。
提案する。

 コロナ感染が国民の命を奪っている時に、お祭りと言ってよいオリンピック・パラリンピックを開催したことの見通しの甘さ、1年の延期が出来たのに、環境はさらに悪くなったのに開催した意固地ともいえ固定感覚のお粗末さ。国際オリンピック委員会が営業としてオリンピック・パラリンピックを動かしてきているやり方はもうやめるべきである。

 開催希望の国があるから、委員会は世界中のテレビなどの放映権を基に利益を考える。需要と供給の関係である。開催したければこれだけの条件を飲め、と言う。テレビ局、新聞社は企業から広告料をとる。それがテレビ局、新聞社の利益を生む。広告料をもらってオリンピック・パラリンピックの批判は話せない、書けない。すべてオリンピック・パラリンピック様、様なのだ。選手は努力して、成果を自ら確認したい。この心情は当然である。

 ここらでクーベルタン男爵の近代オリンピックの精神を思い出そう。政治を介入させず人間のあらゆる限界を、4年に一度、世界から集まって確かめ合うものだった。

 もう電通などの広告会社に操られるお祭りはやめよう。4年に一度、ギリシャに集まって淡々と競い合って、別れる。派手なオリンピック、パラリンピックはもういらない。

 最高の努力した姿を、簡素な人間臭いお祭りを作る時が来た。

2021年8月11日 記