2022年11月14日掲載

政治言論の軽さ

 区別は曖昧ですが芸能人、タレントなどのテレビへの進出が目覚ましい。固いはずのNHKでも司会、進行役にそのような人を起用している。ひとえに視聴率が稼げるということであろう。前からの持論であるが、人を笑わせるために人を痛めつけたり、悪罵したりして第三者から笑いを取ろうという技術が、お笑い芸人と言う人々のやり方である。人を言葉きたなく蔑み笑いものにすることから出てくる笑いは、決して平常な状態ではない。そこからいわゆる、イジメが生ずる。

 私の言う言葉による小暴力が日常化する。容姿、言葉使い、行為を捕まえて皮肉り、蔑み優越感を持ったりしてイジメるのだ。笑いの陰に苛めありと思って間違いない。この傾向をテレビ、ラジオ、新聞などが助長している。そんな中で政治家の軽々しい言葉だ。政治家が流行を作りはしない。逆に世の中の流れに迎合して取り入ろうとする。その結果が、ここにきて葉梨法務大臣の死刑執行のハンコ事件になるのだ。軽い冗談のつもりで死刑をあつかう法務大臣の職務についての無自覚な感覚は、辞任は当然である。それを擁護するような岸田総理も同罪と言える。政治家に公人意識が希薄になったというよりも、国民に公人に期待しない対等観が広がり、公選された人間の威厳、誇りなどを期待することがなくなった。

 これの再構築は至難の業だ。国民と政治家双方に政治教育がつよく求められる。なおこの記事は11月11日午前中に書いたものだが、この日の午後、岸田総理は話法務大臣を更迭いわゆる首にした。

2022年11月11日 記