2022年12月12日掲載

国会議員の薄い順法感覚、
政治家プロダクションの登場が間近い。

 法律を作ることは国会議員の役割の一つである。作るのもまたそれを守るのも同じ感覚のはずである。ところが近ごろの国会議員は法律を守らない。とくに政治資金に関しては他人事であって、自分が政治家であることを失念している風である。政治資金パーテーの入金の記載を忘れたり、生協には献金してはいけない法律があるのに何年もおこない、それを生協も受け入れていたというのだから呆れる。政治と金についての関係は毅然とするべきと言う形が崩れてきている。この原因の一つは国会議員になろうとする人間の、公に対する構えが変わってきているからであろう。 

—知名度はタレントにかなわない—

 個人とは違って、公の立場の国会議員はあらゆる角度から見られて、批判される立場と言う認識がないのであろう。完璧で、非の打ちどころのない人間であろうとしなければ国会議員の立場にたてない。普通そのような非人間的な、隙の無い生活などご免、と言う人が多いはずだ。だから政治家を希望する人間は、かつて変わっているといわれた。だが今はテレビに出るタレントと同じ感覚で希望する人間が増えてきた。タレント出身の政治家が多いことは誰もが認める。当選に近道の知名度がタレントの時代に高くなるからである。目立って人に注目されるのがタレント、なおかつ選挙に受かって先生と持ち上げられれば満足に違いない。かつて政治家になる近道は、早稲田の雄弁会、松下政経塾に入ればいいと言われた時がある。政治家に近づきその道案内を知る方法であった。

 だが今はタレントで名を売って政治家になる道もある。大衆の反逆の時代は、有権者が本質より外装で物、人を評価するからだ。もうすぐタレントが政治家になる、なれるプロダクションが登場して大賑わいになるはずである。有権者がどこを見るのかが問れる。私が常に主張する政治教育の大切さである。

2022年12月8日 記