2023年2月20日掲載

偽国会議員バッジの裁判

 昨年、議員バッジを付けて自民党本部、外務省に出入りして逮捕された人間の裁判が2月14日から始まった。検察は2年6ヵ月の懲役の求刑、弁護側は執行猶予を求めた。持論でノーバッジつまり付けない議員人生を送った者(私)からすると、いまさらバッジの権威などを争うことが陳腐である。人間を始め、事物を表面で評価する愚かさが、まだ現代社会にあることに驚く。偽物の中身のない議員でも、バッジを付けていれば先生、と崇めたてられて会合の上座に座る。政界はそんな表面を重視する社会である。

 具体的な例を挙げる。町に飾られたポスターは実物より若く見せようと、何年も前の、それも修正したものであることは政界の常識である。要はこの時点で、偽なのである。

—有権者は議員の血の出る本当の姿を探せ—

 これに上塗りする形で、形だけに過ぎないバッジを付けて厚化粧する。もう虚偽の塊となる。これで国民に、住民に誠意ある議員であり、議員活動が出来ると思う方がおかしい。町にポスターが貼られ、今春の地方統一選挙の準備に入っている。あなたの周りの貼られたポスターをよく見て、偽装されているかどうか点検した方がいい。ポスターが偽装されていれば、バッジを付ける以前に偽物であるからだ。27歳の区議会議員から50年間、議員バッジを付けず政治活動をし、批判してきた。表面を取り繕うことを当然視する、今の政界を批判する私に許された権利である。

2023年2月15日 記