2023年11月5日掲載

「界」のいかがわしさ3

 ここのところ、「界」について、喜多川性犯罪事件をもとに書いてきた。

 せまい閉鎖社会にあっては、宗教、芸能、政治を問わずもちろん実業界でも人権をないがしろにする犯罪は行われている。だが被害者が名乗らなければ人権問題にはならない。いまでも被害を受けた人間が、人権被害と自分の受ける利益を計算して甘受するものもいるだろう。逆に自分から望むものもいるだろうことは、容易に想像がつく。

 まずその「界」で名前が売れるのならば、何でも投げ出すという人間がいてもおかしくない。それほどに、世間に名前が知れ渡り「有名人」になることは魅力と考える人間は多いということだ。最近の「アエラ」が自誌のジャニーズ事務所との関係で遠慮があったと告白していることからも、事実を報道機関も知っていて配慮していたということである。すべては視聴率、購読数など営業利益を求めるために、ジャニーズ事務所のタレントを守ることが有利と判断したからである。書いたり報道すればタレントを貸し出さなかったり、取材に応じないという報復が待っているからである。

—芸能界を含め「界」のいやらしさを知るべきである—

 少しでも改善、解決の糸口を求めるためにはどうしたらよいかという、前に進める議論が大切である。そのために私の言いたいことは、まさに情報公開である。「界」はある世界との結界を意味する。ある世界とは閉鎖されていて、外から伺い知れない密閉された空間である。それだけに力を持つ人間が、我が物顔に振舞えるのである。これを打ち破るのは、外から常識の風を入れることである。「界」とは奇怪な魔物も住みやすい世界であって、いたずらに幼い子ども、青少年が憧れる世界ではないという一面を知らなければならない。

2023年10月31日 記