2024年4月16日掲載
ここにきて安倍派の地獄
この派閥にはかつて天国の時代があった。2006年から始まった安倍政権は、安倍首相の健康状態から、短期政権で終わった。その時の若手議員が結束して2012年からの長期政権のもととなった。父親の安倍晋太郎は期待されたのだが、総理になれずに終わった。親子二代の宿願を果たさせようという国会議員の同情、国民の共感もあって息子の晋三は政権に再度ついた。この間に各種のスキャンダルがあったが、乗り切った。そして符合の死である。
岸田政権は多分に、安倍派のご機嫌を伺う人事と党運営をやりくりしてきた。
傲慢な安倍政権の残党たち
出直した元安倍政権の担い手たちはそれまでのうっ憤を晴らすかのように強引に振舞い始めた。例えば萩生田、茂木という議員は当選回数もないのに安倍の威光で辣腕を振うった。自民党の当選回数主義からは考えつかないポストにも就いた。他派閥からも疑問視された。
岸田総理はもともと、自民党の池田、大平、宮沢という旧大蔵省出身が引き継いできた保守穏健派の派閥である。それが、保守の右になる安倍政権の後を継ぐわけであるから、派閥の伝統を曲げ政策に従わざるを得なかった経緯がある。そこに今回の安倍派の裏金問題である。
岸田政権のフリー・ハンドと自民党の退潮
岸田総理は安倍派への国民の批判を追い風にして、なんとか浮上したいであろう。それまで気ままに振舞ってきた旧安倍政権の若手議員は亡安倍議員が否定したパーティー券の売り上げの分配を続けるとした。ここに時の勢いともいうべき思い上がりがあった。それが落とし穴とは、増上慢の人間には分からなかったのだろう。高揚感から派閥責任者の事務総長がそろって、安倍派会長であった元安倍総理がいだいていた、政治資金規正法などの違反を避けたいという危機感に同調できなくなっていたのである。その報いが、自民党の支持急落に直結している。世論は自民党を始め、安倍派に批判の矢を向けている。それを岸田政権は利用して、独自色を出そうとする。だが安倍派だけに批判が向くわけではない。岸田総理が率いる自民党そのものにも及ぶ。岸田政権も自民党の政権である。今となれば、厄介な安倍派、しかしその派閥から支持されて総理になった岸田総理、ここで泣いて馬謖を切れるか。自前の判断で安倍派問題を処理できない時には、自民党全体が轟沈することになる。岸田総理が自前の判断を下せるか、お手並み拝見である。
2024年4月5日 記