2024年9月9日掲載
政治家の責任とは
自民党、立憲民主党がほぼ同時期に党のトップを選ぶという。議員と党員の投票による。党内の事なのだから、党内で慎重に、公平に行えばよい。ところがマスコミがあれやこれやと、情報を流す。賑やかなことだ。国民行事にしていることが問題である。党も党の内部問題ということで粛々と行えばよいのだが、知られることが利益となる現代社会では、進んで情報を提供する。電波や活字になることは政治家にとって、知名度を上げる好機である。
一方党員でない国民は傍観しつつ、プロ野球の順位争いのように眺めているだけだ。だが、ここで政党の責任者になれば、総選挙などの結果によっては総理大臣になることもありうる。党員でない我々は眺めているだけでない人物考査の時であるといえる。政党の責任者になろうとする人間の点検が出来る好機ということである。過去のその人間の言動、実績、言論など報じられるから、改めて再認識できることになる。
—野田元総理の場合—
たとえば立憲民主党の野田佳彦元総理である。2012年の民主党政権時の総理として、安倍晋三自民党総裁との党主討論で、衆議院の解散を約束した。総選挙の結果、民主党は惨敗している。再度、党首に立とうとするなら、この時の反省と判断を国民に開陳する責任があるはずだ。彼は一言もなく自民党の金権体質批判とこの機会は、政権奪取の好機というだけで党首になろうとしている。さらに分かりにくくしているのは、彼を推すのは政界の鵺・ヌエのような存在の小沢一郎氏であるという。分かりにくさに分かりにくさを掛け合わせたようなコンビが完成した。国民のどれだけが納得しているのか。党首選はどのような結末になるのか、民主主義のもとになる政党の責任者の選挙であるだけにしばし、立見席から拝見しよう。
2024年9月6日 記