2026年4月7日掲載
生き急がない
どんなことがあっても喧嘩はいけない、と教わった。どんなことがあっても戦争はいけない、と教わった。しかし、今はどこにでも人殺しはいて、泥棒もいる。今はあちこちに戦争がある。一夜明けると学校の子どもが百人、空襲で死んだという。恐ろしいのは頭の中をこの事実が通りすぎていって、なんの違和感がなくなっていることだ。新入生が学校に、新入社員が会社に慣れるのはよい。だが戦争に慣れ、殺人に慣れるのは怖い。広島、長崎の原爆、東日本大震災を過去の事件としてしまってはいないか。そこから学び、生かしていないのではないか。終わったこと、過去のこととしてしまってはいないか。そんな立ち止まりがあって、生き急がない自分を見つめなければ何のための戦争、原爆、大災害なのか。まわりは急き立て生き急ぐことを脅迫する。科学技術の進歩、家庭の電子化。すべて急がせる仕組みに取り込もうとする。あたかも洗濯機のなかのシャツのよう、自分の意思を無視して、もみくちゃにされる。そんなとき読書、瞑想で自分を取り戻す。生き急がない、「まあボチボチいくか」と独り言、「自分でできることをゆっくりやろう」と。
2026年3月15日 記
