2013年8月25日掲載

まさにいま行動者としての私

 山岡鉄舟忌が7月19日に全生庵でもたれたことは報告しました。

 さて山岡さんと時代を考えますと、あの幕末には思わぬ人が政治の中枢にあったということです。倒幕の龍馬、西郷、高杉、幕府の山岡、榎本武揚、近藤勇など、それまでは固定された体制のなかにいた新人類が活動できる環境になったのでしょう。こう考えますと時代の中枢にそれまであった人にはいつの間にか周縁にあって、それは本人が知らぬ間に、そんな動きがあったのです。それを後世の人々は時代の必然のようにいうのです。しかし、当時の人々は死を賭けて自己主張して世の中を変えようとしました。その切実さ、切なさがいまの人に伝わっていません。安易に日々を過ごし、大きな風潮に従い、不満だけをいう群集になっています。かつての選良をよしとはしません。

 しかし「ぼろは着てても心は錦」の心構えは欲しいものです。いまの世相はきらびやかな錦を身にまとっていても、心は卑しくいつも人のあげ足をとろうとする傾向にあります。

 強い心と不正義を許さない、あたりまえの生活態度を取り戻さなければなりません。それには評論家、傍観者ではなく行動者とならなければなりません。

 もう理屈や理論は出尽くしました。その理屈を実践、実行する人が求められます。そのような人間に私はなります。遠く吉田松陰のような人物を想像されるでしょうが、私は現代の行動者として振舞います。

 山岡さんの江戸無血開城の心を生かし、学んでいる私の覚悟です。

2013年8月23日 記