2013年11月22日掲載

「一国の首都」研究外伝

—厚みのある教養と明治人—

 白秋の柳河首都論のなかで「市区改正」という用語が「都市計画」に変わることを記しました。

 ほぼ時を同じくして森鴎外は「市区改正論略」を書いています。

 それによりますと論略という通り、(上)近心と遠心との利害 (中)離立と比立との得失 (下)細民の居処 となっています。

 鴎外はドイツ留学の経験もある軍医です。

 フランスのパリ、イギリスのシティなどの街を例示して街は中心から外縁へと拡張していくべきであると主張します。

 さらに家と家は離れて建てるべきで、日照、風の通りぬけなど健康面を考えることなどを挙げています。

 さすがに医者です。

 さらに金持が街の中心部に住むようになるであろう。という経済の側面も意識しています。誰もが都市の中心に住めないので、貧民の住居に配慮すべきとしています。

 そして市区改正すなわち都市計画を決定する時は、金持の住民地域として広々と清潔なものとすべきと主張するが、とても無理で永遠の対策であろう、と予想しています。

 露伴の高層の街と低層の街の見解がわかれていることは興味深いところです。

 露伴は海外を見聞したことはありませんし、鴎外は留学もし、海外知識が身近な生活をしています。

 露伴と鴎外は文学的には今の台東区根岸附近に居住していた集団である「根岸党」といわれる親交がありました。

 しかし、こと街づくりについては意見が異なります。

 現在から考えますと露伴は集中型、鴎外は分散型です。露伴あくまで江戸城を一つの理想と考え、中心に向けて家々が集中し結果として高層化することになります。

 鴎外は地方都市に向けて広い道路をつくり、都心を低層にしておく構想です。

 露伴は中国や東洋の街が念頭にあり鴎外は欧州の街が配慮されています。

 優劣はともかく明治の文人、作家は筆を持つことにとどまらず、幅の広い見識を持っていた、という知性、教養の豊かさに敬服します。

 現代作家と比較するまでもありません。厚みのある考え方、生き方をただ見たり読んだりするだけでなく、身につける努力を怠りなく続けていきたいものです。

2013年11月25日 記