2015年7月7日掲載

剣道と平和

—相抜けの思想—

 剣道というと打つ、突く、大声、激しい足音など野蛮と考えられる所作がすぐ浮かびます。上手な人に掛っていくと打たれ、自由を奪われて疲れ切ります。

 重い防具は全量10kgにはなるでしょう。

 稽古着で袴は汗に濡れて、どっしりと重量を増します。

 そんな稽古を35才から36年も続けてきました。稽古は平均して週に2.5日ぐらいでしょうか。1時間半から2時間を動きづめです。

 修行の結果、いまは錬士六段で、七段に挑戦中です。

 そんな私が範とするのは、政治家、剣道家、書家、禅の師家、教育者と多才な能力を発揮した山岡鉄舟です。私が関心を持った幸田露伴、山岡鉄舟の共通点を記したコーナーもこのホームページにはあります。

 山岡については別に機会を持ちます。

 さて本題です。

 剣道では争いの極点に「相抜け」という境地があります。いま私たち武道家、剣道家に伝わる相抜けのはじまりは、江戸中期の針ヶ谷夕雲と弟子の小田切一雲の試合といわれています。

 針ヶ谷が弟子に免許皆伝を与えるかどうかという時に木刀で立ち会うのですが、技倆が伯仲して両者が進退できずに長時間対峙して結果として、互いに木刀を納めて立ち去ったといいます。

 闘争の心を持っていてもついには互いに認め合って別れたのです。

 武道(剣道)の極地は和の心です。

 最近話題になったアメリカとキューバの交流は喜ばしいことです。冷戦が氷解したのです。しかしかつてのケネディ大統領とカストロ大統領の対立した核戦争の一歩手前のあの緊張は針ヶ谷と小田切の対立と同じでした。しかし結果としてアメリカ、キューバは相抜けして世界の平和は保たれました。

 ギリギリの世界戦争の瞬間はあまりありません。

 私はもう一度、アメリカとキューバの相抜けした条件を調べなおしたいと思います。政治家として武道家としての立場からです。

2015年7月4日 記