2018年8月27日掲載
8月15日を前に、「戦争中の暮しの記録」から紡ぎだされるわが国のいま!!
毎夏、昭和47年(1972)に発刊された「戦争中の暮しの記録」(暮しの手帖社)を読むことにしている。
戦場、配給食品日記、疎開、東京大空襲、1945年8月15日、飢えた子どもたち、村へやってきた町の子、防空壕と壕舎、油と泥にまみれて、産婆さんは大忙し、恥の記憶、父よ夫よなど投書を中心にまとめた文書といってよい記録集である。
私は昭和19年1月生まれであるから戦争に生まれた。戦後の物資不足を経験した世代である。
中学校は1クラス70名で13クラスあった。窓側の机から廊下に出るのに通路がとれなかったので、椅子を渡って出る始末であった。
クラスで物がよくなくなった。弁当がなくなった。でも犯人探しをしたことはない。だいたいみんなが分っていた。
校舎の中を竹刀を持って歩く体育の先生がいて、生徒はしばしば撲られていた。あのピリピリした学校の空気は敗戦から立ち直るための、督励の手段であったのであろうか。
—いま「自由からの逃走」の時代—
電車の中で化粧直しをしている女性、股を広げて座席を占有してスマートフォンに熱中する男性、ドアが開くと素早く座席に座りこむ子ども、自転車でスマートフォンをしながら走る主婦。みんな自分の自由、自分の欲望を満たしている現代人。個人とすれば自由であっても社会として見れば放埓な状態である。
自由の行き着く先は、自由を嫌悪して統制、束縛を求める衝動が働くようになる。E・フロムのいう「自由からの逃走」、ドイツ・ナチスを国民が歓迎し、束縛した事実があった。
戦後74年、時が流れれば時代は上昇し、人間は賢く進歩するという楽観論は成り立たないことを証明した。
—管仲もフロムもよいが—
かつて中国の春秋時代の管仲は「管子」の中で「倉廩実りなば、すなわち礼節を知り、衣食足らなば、すなわち栄辱を知る」と言った。
巷間に言われる「衣食足りて礼節を知る」の原典である。これを私はこう解釈する。倉廩すなわち食糧倉庫が一杯になれば礼儀、道徳が守られ、着るもの食糧が不足しなくなれば、名誉、恥を考えるようになると。
食糧倉庫は個人で所持するものでなく、社会が確保するもの。すなわち社会に公徳心が広がる。そして衣食は個人の趣向でもあるので、国民の精神に余裕が出てくると解したい。
ここにきて私はフロムの「自由からの逃走」の指摘をとるか、管仲の「管子」をとるか、暑い8月、滂沱の汗の中で苦慮している。
たぶんフロムに軍配が上がり、管仲の見通しが甘かったことになるのではないか。
2018年8月12日 記