2013年11月26日掲載

知られることの快感と空しさ

—情報社会の落し穴(3)—

 携帯電話がカメラ機能を持っていますので、いつでも移すことができます。そしてすぐに転送できます。

 自分がいま何をしているか、を知らせることで受け手と共感したいという気を満たそうとします。

 それの送り受けが習慣となり人間関係が保たれているという安心感があるのでしょう。

 情報社会の代表者である携帯電話が普及して誰もが持つ現代ですが、色々な情報を手軽に知ることができます。たしかに早く情報を知ることはできるようになりました。

 しかし、これほど携帯電話が使われるようになっても、幸福になったという実感はありません。

 逆に不快や犯罪に巻き込まれることなどがあって、便利に早く情報に接することが快適な社会をつくっているとはいい切れません。人に知られていなければ、自分を露出していなければ不安な社会は歪んでいます。

 知られていないと無視されていると思い込むようになり、奇抜な言動をとるようになります。

 目立って知られようとすることが個性であり、時代もそれを要請していると考える風潮があります。黙々と静かに確実にという地道な言動を認めるような社会にならないと品格のある落ち着いた国家、社会にはほど遠いものとなります。

 日々の暮しのあり方や教育の問題でもあります。

2013年11月24日 記