2015年2月19日掲載

裁判員制度は廃止するべき(3)

—裁判は公平を求めるべき—

 一審の裁判員裁判が死刑、裁判官が審理した二審は無期懲役、そして最高裁が二審を支持しました。アマ—プロ—プロの判断です。

 裁判員裁判の目的は市民感覚を取り入れることである。
 先に書いたように殺人写真を見て失神した裁判員は、市民感覚そのもので慣れぬ残酷な写真を見て失神したのです。
 プロは見慣れているのです。裁判官が市民感覚を持てば、裁判員はいらなくなります。
 裁判官に人間としての市民感覚を持つ努力を求めずに制度でお茶を濁そうとする
驕り
があります。
 国民に人気がある遠山の金さんは、庶民の姿で世相を見聞きして、判断して長寿の番組となったのです。この機微を今の法曹界は知るべきです。
 裁判員に求める市民感覚を自分で身につければよいのです。
 そして何より公平な判断が出されれば、裁判員の力、アマの力を借りる必要はないのです。

2015年2月16日 記