2014年11月20日掲載

鉄舟と露伴(4|10)

—二人の食—

 鉄舟は水戸藩の酒豪といわれる男と呑みくらべをしました。その男は五升で意識を失ったのですが、鉄舟は七升を呑んでしっかりと家まで帰っていったということです。相当の酒豪です。ある時は安倍川餅108個をペロリ、またゆで卵97個をパクリとしています。

 また無刀流の稽古初めで、飲食の無礼講を許した席で嘔吐した者がいた時に、その吐き出したものを食べつくし、尋ねた弟子に「ちょっと浄穢不二(清浄と汚穢を超越したこと)の修行をしたのだ。身体など考えていたのでは何事も十分にやれるものではない。今のいろいろな世界の修行者は畳の上の水練(水泳)だから役に立たないのだ。」と答えています。

 露伴は健啖家でした。正月という特別な酒肴でしたが、からすみ、雲丹、このわた、紅葉子、はららご、カヴィア(キャビア)、鮭のスモーク、チーズ、タン、ピクルス、数の子、豆いろいろ、ゆばに菊のり、雉の味噌漬など数かぎりありません。

 ウィスキーは浅草の山屋、銀座の明治屋、亀屋を自分で買い求めに行きました。また牛タンの塩ゆでが大好物で、娘の幸田文は、気味が悪く怯えたと書いています。

 露伴は慶応3年生まれです。同年生まれに夏目漱石、正岡子規、尾崎紅葉がいますが、一人長命でした。食事については3名に比べて強く興味を持って味にもうるさかったのです。

 豪胆な鉄舟、小難しい健啖家の露伴。

 真剣を振り回す世界の鉄舟、空想世界を筆一本で描く露伴の対比は時代を越えて興味の湧くところです。

2014年11月19日 記