2015年12月11日掲載

光派私説8

学芸員 和田宗春

 本阿弥家は刀剣の鑑定、磨き、ぬぐいを業として有名で現在も続いています。系図によりますと妙本から始まり、妙本は足利尊氏に仕え、刀剣奉行となっています。本姓は菅原氏としていましたが、松田を名字として鎌倉に住み、刀剣を見る目が秀でていて足利将軍について京都に来ています。鎌倉松葉谷の日静上人は尊氏の叔父にあたりますが、これに帰依して法名を授けられて本光と名乗るようになります。元祖妙本も本光も「本」の字がついているので、松田といわずに本阿弥と氏を称し、さらに「光」字を一族の冠字とするようになります。

 系譜から見ますと、本光、光心、光二、光悦、光瑳、光甫、光通、次郎左衛門と続きます。

 現在、私が現代語訳をしている『本阿弥行状記』は光甫、光瑳、次郎左衛門が書き続けたものです。

 

 阿弥といって思い出すのは、世阿弥、観阿弥という能の名人です。阿弥号は、鎌倉時代にいた一遍の時宗が出した号ですから、時宗信者ということになります。

 徳川家康も徳阿弥という一族の出のようですから、阿弥族は一定の集団を形成していました。

 しかし本阿弥家はこれから宗教の変遷をしていきます。そしてその宗教が、本阿弥光悦が、日本絵画史に残る基本姿勢を育てることになります。

 次回はその宗教について書きます。

2015年12月10日 記