2015年11月28日掲載
光派私説4
学芸員 和田宗春
応仁の乱を御存知ですか。
応仁元年(1467年)から11年続いた内乱です。
足利義政将軍の跡継問題、細川勝元と山名宗全の対立、斯波・畠山両家の相続問題が重なって戦国時代に入ります。
初代将軍・足利尊氏は京都・室町に1336年に幕府を開き、室町幕府といいました。15代将軍・足利義昭が織田信長に追放される1573年まで続きました。
京都は朝廷と室町幕府が保存する政治、経済、文化の中心となり、群雄割拠の戦乱の下でも庶民は逞しく生き抜く自治感覚が育ってゆき、町衆という庶民集団となります。この町衆から豪商といわれる角倉家、後藤家などが出てきます。
その文化的な元締めとして本阿弥光悦が出てきます。政治権力の強さ、脆さを冷静に見る町衆は、決して自分の損得を忘れません。
生き延びる技術を身につけた町衆は権力と上手につきあっていきます。今日でも京都人は何を考えているかわからない、という人もいます。戦国時代を生き抜いた知恵は、はっきり物をいう江戸っ子から見ると訳のわからない人種と見えるかもしれません。町衆から本阿弥光悦、千利休などが派生していきます。
2015年11月19日 記