2016年3月8日掲載

光悦私説12 最終回

学芸員 和田宗春

『本阿弥行状記』を訳し終わりました。

 本阿弥光悦とその家族が日蓮宗を背景にした信仰の固さとそこからくる生き方の妥協のなさが一貫していることに驚きます。

 それは誇り、自尊心によるものです。時の権力者についての批判、賛美などの反撃を考えている節はいささかもありません。

 上巻、中巻、下巻と380段の話題が続きますが、光悦が言ったことを聞き書きした項目は30程度で、下巻になると国内外の知識、話題が多くなり、光悦の関係するものは少なくなります。

 書き残した資料をつなぎ合わせた、と記してありますことからも時の流れは否定できません。上巻は光悦の語りを長男の光瑳、孫の光甫が書き、中巻と下巻は玄玄孫の次郎左衛門が記しています。どこの家にもあるその家のルーツを丁寧に書き続けた本阿弥家の記録です。

 日本には自分の家系を大切にする気風があり、珍しくはありません。私の身辺でも旧家が100年にわたる日記を続けていて、それを見たことがあります。読まれることを意識したものというより、そこに存在したことを記録している、という感じは、どこの家、家系にもあったもののようです。

 たまたま現代の私たちが琳派という日本の美術史に輝く流派を見るとき、本阿弥光悦の多才な芸術の発想に驚く源泉をその家系に求めることから、この行状記が注目されるのです。

 日本美術史に残る本阿弥光悦とその家系が、どのようなものであったかという記録と思い現代語に記してみました。学芸員として、内容の学術的裏付け、不正確さの指摘を含めて公にしたいと思っています。

 私が原本としたのは、『本阿弥行状記と光悦』正木篤三 中央公論美術出版でした。昨年の8月から2月まで7ヵ月の努力でした。光悦に興味、関心を持つ人が増えてくだされば幸いです。

2016年2月24日 記