2015年12月26日掲載

光派私説10

学芸員 和田宗春

 光悦の生きた時代は、何でも可能な時代といえます。それは鎌倉時代の武士の土地を間にした一所懸命の繋がりが、下剋上の混沌とした関係に入ったことによります。

 話は飛びますが、京都の友人は「この前の前の戦いは…」という時、応仁の乱をいうのです。

 これを生き抜いた京都を中心にした町衆は、生き抜く智恵、才覚を身につけ、上辺と本心の使い分けも巧みな風土を作り上げていきました。しかし朝廷を抱えてきた京都には、江戸、鎌倉、東日本に対抗する気分があります。鎌倉文化に対抗する京都文化です。

 その中心に光悦がいます。刀剣の鑑定、修理、磨きなど実用と飾りの双方にわたる家業を続ける中で、高位の武士と付き合い、書、陶器、絵で富を手にする上層町衆と仕事で協力する多方面の生き方をします。家康とも口をきき、河原で生活する庶民とも冗談を言い合います。

 その地位、場所に拘らない奔放さが、宗達、光琳とそれだけの良さを生かす絵巻などとして誕生してきます。家康の権威と河原生活者の自由さを、本人の意識では差別せずに存在しているところに当時の混乱社会を芸術、生き方に実現した人間としての魅力があります。

2015年12月24日 記