2023年6月2日掲載

剣道と44年の付き合い

【9】面を割るということ

困難な技、面にこだわる稽古 

 相手も自分も面を打とうとする。突き、面、小手、胴が剣道の打突部位である。第4回で触れていたように、打つ時に、大きい筋肉を使って距離を必要とするのは面である。

 順番に胴、小手、突きと筋肉も距離も少なくなる。面と突きは攻撃の気が強い打突である。胴と小手はどちらかというと応じる場合が多い。そこで一番困難な打突から学ぶことが望ましいという事になる。面である。この面が打てるという事は気も技も充実している証である。審査でも初太刀は面から行くべきだという先生が多い。このことを言っているのであろう。考えるべきは一番困難な面を打つことにある。そのための修行である。

 審査委員もここに着目して審査するのであろう。四段には四段、七段には七段の面を期待するはずである。それが出来れば、審査員を満足させたことになる。

逃げずに向かっていく気

 適当な例えではないが、2・26事件で銃殺刑になった将校の逸話として聞いたことである。将校は目隠しされるはずを断ったという。自分を撃ってくる弾丸を最後まで見定めるためだと言ったという。この将校の気力に驚いた。殺しに来る弾丸の速度は見て確認できるはずがない早さである。ところが目隠しを断って悠然と弾丸を見ようとする態度、姿勢は学ぶべきものがある。逃げずに直視する精神力である。

 剣道では中心線という事を言う。頭から鼻筋を通って体を左右に分ける線である。相手の中心線と自分の中心線はいつも直線上にある。相手との攻防では、この線を重要と考える。面を打つという事はこの中心線上の竹刀が相手の正面を打つことである。相手と同時にこの線上に二本の竹刀は置けないので、どちらかの竹刀が弾かれて外れる。相打ちの稽古はこの線、中心線の取り合う打ち方である。この稽古で中心線をとれないと、つい相手の打ちを躱して、すなわち自分の中心線を相手の中心線からずらして打とうとする。これは逃げた打ちで、中心線の争いに破れた打ちである。評価されない。

正面を割る打ち

 ではどうするか。撃ってくる竹刀から眼を離さずにこちらも正面を打っていく。打つ前の兆し、表に出るもの、出ないものもある。それを気という人もいる。それを読み取る、感知する能力。なまじいの気や能力ではない。この打ちこそまさに正面を割る打ちである。固い餅を割る時にはどうするか。餅を左右の親指を合わせてもって、一気に腹に力を入れて両親指を押し出すようにすると、真っすぐに割れる。

 弱気や迷いがあれば中心線を割っての面は打てない。気も身体も竹刀も一体、一緒になった打ちが割ったうちである。

 多くの剣士はこの打ちを求めて修行していると言ってよい。偶然の打ちではなく必然の打ちまで進んだ打ちである。それも誰に対しても通ずる打ちである。

2023年5月 記