2023年9月4日掲載
剣道と44年の付き合い
【19】稽古日誌をつける
剣道の稽古は打った、打たれたという勝敗の連続である。打たれれば誰でも打ち返そうという気分になる。先に触れた感情が勝った稽古となる。冷静な気分ではなくなる。そこには自分の今修正しようとする足の位置、左手の握り方と言った基本にまといついた個癖を直そうという理合いを求める心は霧消してしまう。これを何年繰り返しても前進はない。そこで自分を客観視するための工夫に、剣道日誌がある。
稽古から帰ったらこれを書く。誰にも見せないのだから、自分をけなしたり相手を批判してよい。第三者の目で今日の稽古の有り様を書く。そして次の稽古の前に見て稽古に生かす。これを何年も繰り返すことで自然と自分の稽古を第三者の目で見られるようになる。
小川九段の剣道日誌
小川忠太郎範士九段は、持田盛二範士十段のとの百回にわたる稽古を記録して、本にしている。自分の心の動き、相手に対する働きかけ方など微妙な動きなどを表している。体と心の活動であるから、自分と相手の話し合いなどはない。自分の攻め方と相手の守り方や受け止め方を記してある。剣道をしない人が、読むだけでは理解できない表現もある。剣道をしていてもその境地になっていないと分からないところもある。人の剣道日誌ではあるが、六段に受かった記念に求めて読み始めて今日に至っている。私にはおおいに参考になっている。
技術もさることながら、相手との対話のような交流が見られる。さながら竹刀を使って打突を通しての対話、会話である。激しい脂ぎった若い剣道とは違ってゆとりのある、味のある剣道模様が映し出されている。生涯剣道の一つの形であろう。自分を客観視するためにも記録はとるべきである。
2023年8月30日 記