2024年1月16日掲載

剣道と44年の付き合い

【28】剣道教育に必要な要素1

1.自発的であること。

 剣道を学ぶきっかけを考えてみると、周りがしつけや行儀悪さの是正に利用している場合が多い。自分たちの家庭教育の手こまねいているところを剣道に頼ろうというわけだ。怖い剣道の先生に鍛えてもらいに道場に通いなさい、いうわけだ。これでは剣道は悪者にされる。本来の教育ではない。なによりも、本人が剣道を剣道として興味、関心を持つところから始まる。

 親、家族が家庭教育で収まらなくなったそのつけを、剣道教育に頼るというのが大方の初めて竹刀を握る動機ではないのか。むかしいたずらっ子に警察に言いつけるよ、といったことと同じ論調である。

 剣道はいい迷惑である。柔道とも合気道とも違う、剣道の特性を知った志願者が、老若男女から自発的に出てくるように体質改善をして行かなければならない。そのためには強圧的で押し付ける教授法ではなく、本人が理解でき納得できる方法の開発が望まれる。

2.自省的であること。

 剣道は竹刀で相手を突き、打つ競技である。また攻撃心がなければ剣道は成り立たない。竹刀は刀の代わりの得物である。したがって殺し合いがまず初めである。気合は自分を鼓舞すると同時に、相手を威喝する。

 獰猛な野獣そのものである。かつて江戸幕府末に防具が出るまでは、木刀による型稽古あるいは寸止めによる剣術であった。剣道を教える武道場が登場して、商売として剣術が成り立つようになった。

 武士に限らず、町民をたしなめるようになった。この道場は幕末になって、尊王攘夷の時代に情報を交換できるサロンのような役割も果たした。ただ打ち、打突だけにとどまらない政治の役割を果たし、社会、国家の動向にも関わるようになった。それは打った打たれたの世界から、自分や相手すなわち他者を考えるきっかけとなっていく。そこには自分の攻め方、打突の仕方と同時に、禅宗など宗教と結びついて精神修養の側面ももたらし始めた。自分を見つめる行為は、必然的に自省を伴うようになった。