2023年10月9日掲載
剣道と44年の付き合い
【22】日常の細かな剣道修行
道場に行かなくても、一人稽古が出来なくても心がけ次第では稽古になる。例えばこんな試みである。町を歩く時、歩道と車道の分離の白線がある。この幅は15センチある。左足は左端、右足は右端を真っすぐ踏んで歩く。限られた距離だけでも、姿勢を正して歩くことで、外股、撞木足の是正にはなる。電車に乗っていれば、進行方向の電柱、ビルなどを見て視界から消えるまで注視して動体視力を鍛える。これを繰り返す。信号を待っている時には、青に変わる瞬間に左足で右足を送ることなどを試みる。ショウウィンドウの姿で、真っすぐな歩きか、横からみた姿が猫背になっていないかなどを点検する。電車の吊皮は小指、薬指で握るなどである。剣道を日常生活に取り入れることで、感覚は錆びない。
ピアノ、バレーの練習も一日に3ないし5時間するのが当たり前という。剣道も警察の助教、体育大学の先生のように専門家となると、一日に5時間とか同様な稽古時間となる。このような人が最高位の八段審査、合格率、1ないし2パーセントの試練を突破する。専門家でない我々は、こまぎれの時間に細かな工夫で上達の道を自分で考え、工夫しなければならない。
—教えは必ず試してみる—
指導者の中には、進んで技術などを教える人もいる。話しかけなければ、互角稽古だけという人もいる。自分なりの考え、やり方を教えてくれる人の教えは、一度は試してみる必要がある。何年もかけて身に付けたその人なりの「極意」なのである。自分にないものを求めているのなら、試すべきである。生きた教科書である。実践しない手はない。このような先取の心があってこそ、指導者も次の課題のヒントを与えてくれるようになる。この関係が長く続き、剣道以外に及ぶようになると人間としての交わりに高められる。「交剣知愛」の関係である。剣道を通じて生涯の,師、先輩、仲間を持つことありがたいことである。
素直に指導を受け入れられる心を持つことが、人間と剣道の成長につながる。素直な心を持つことは個人競技の剣道では簡単ではない。どうしても「我」が出てくる。個人の修行とその延長線上にある審査の失敗という現実が、ますます「我」を強くする。この我という自分の内側に食い込んで、孤立していく壁を、先生、先輩、仲間の色々な意見、進言を柔軟な心受け入れて、工夫して乗り越えられるかが重要となる。
2023年9月 記